2016年御翼7月号その1

10年間身体に閉じ込められた男 ――― マーティン・ピストリウス

 

 今から四十年前、南アフリカのヨハネスブルグに生まれたマーティン・ピストリウスは、十二歳の頃、病名も治療法もない難病を発症する。目は開いてはいるが、意識を失った状態になったのだ。食べ物は無意識に飲み込むが、外部からのどんな刺激にも反応を示さない。母は、レントゲン技師の仕事を辞め、自宅で世話をする。マーティンは三年後、意識を取り戻すが、手足を使ったり、声を出したりしての意思表示はできなかった。唯一、自らの意思で動かせるのは眼球と瞼(まぶた)だけである。
 十六歳でマーティンが意識を取り戻したことに、誰も気づかない。食べ物は流動食、おむつが必要、痛みを感じても伝えられない。意識を取り戻したことは、地獄のような日々の始まりだったのだ。何よりも辛かったのは、自分の存在が家族全員に負担となっていることだった。彼が意識を失ってから一年後、母は看病疲れから、自殺未遂をした。代わりに父がキャリア(機械技師)を諦め、介護をする。母はある日、「死になさいよ…マーティン、もう死んでちょうだい」と口走った。その時の思いをマーティンはこう記している。「言われた通りにしたかった。人生を終えたくて仕方なかった。こんな言葉を聞くのに耐えられなかったから」と。
 数年後、マーティンはわずかに口の端を動かすことができるようになっていた。しかし、家族はそれに気づかない。意識を取り戻してから十年、マーティンが二十五歳になった頃、新しい施設でアロママッサージを担当するヴァーナという女性に出会った。 彼女はこれまでの介護士とは違い、マーティンをモノのようには扱わず、まるで友人であるかのように話しかけてくれた。ヴァーナは長い間、マーティンの顔を見ながら話しかけているうちに、わずかながら反応があることに気付く。そして、ある大学の重度障害者用のコミュニケーションセンターで検査を受けると、彼に意識があることが判明した。
 母は再び仕事をやめ、一日中マーティンに付き添い、コミュニケーションの訓練、身体のリハビリに励み始めた。その結果、リハビリ開始から五年後には、自分の手でキーボードを打ち、口では話すことはできないが、パソコンを使って会話もできるようになった。そして、パソコンの情報処理を学ぶために大学に入学し。六年前からは、フリーランスのウェブ・デザイナー、開発者として仕事もしている。マーティンは、かつて厳しい言葉を投げかけた母についてこう言う。「私は母を愛していますし、とても良い関係を保っています。責める気はありません。あの頃は家族全員にとって難しい時期でした。怒りはなく母に深い憐れみ と愛情を感じます。母にとっては息子を失くしたようなものです。そんな状況にも関わらず、最善を尽くしてくれたと思います」と。
 マーティンは七年前の二〇〇九年六月、ソーシャルワーカーをしているジョアンナさんと結婚した。イギリスにいるマーティンの妹の同僚である。妹と、テレビ電話で会話中、隣にいたジョアンナに一目惚れした。ジョアンナは、マーティンの笑顔と正直な性格に魅かれたという。
 マーティンは、著書『ゴースト・ボーイ』の中で、神と信仰についてこう記している。「神が実在するという証拠はなかったけれど、ぼくはその存在を信じていた。実在すると知っていたからだ。神もぼくに対して、同じことをしてくれた。人々と違って、ぼくが存在するという証拠を、神は必要としなかった。ぼくの存在を知ってくれていたからだ。神の存在がなければ、ぼくは今日ここにいません。これまでも、これからも、神がくださる恵みにありがとうと伝えたい。(結婚)式で読み上げられる聖書の一節の、真の意味を教えてくれたのはジョアンナだった。『いつまでも残るものが三つあります。それは、信仰と希望と愛。そして、その中で最も優れているものは愛です』(コリント第一13章)。ぼくの人生は、その三つを網羅している。そして実際、一番すぐれているのは愛だ、と知っている」と。十年間、意識があることに気づいて貰えず、孤独を耐えぬいたマーティンが、世界中の人々に伝えたいことはこれである。「どんなに小さくても常に希望はあると思っています。他人の人間性を認め自分自身を信じてください。誰にでも親切に思いやりと尊敬の念を持って接してください。愛と信仰の大切さを決して過小評価せず、夢を見続けてください」。
 人生の目標は、イエス様のような性質に近づき、神の霊である聖霊によって導かれる生涯を送ることである。なぜならば、人の本質は、神によって命が注ぎ込まれた魂にあるからである。

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